平日とは?/ レイク
[ 595] ローマの平日@裏話
[引用サイト] http://ameblo.jp/yuranoto/
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私の身の回りで起こる出来事、ローマ裏話、役にたたないイタリア情報、イタリア人って、日本人って.....と、思ったことを、おしゃべり感覚で書いています。 イタリア人が30代になっても、親と同居している人が多い、その割合は欧州一、という話は以前も書いたのですが、もちろん別居している人もいます。 私が今まで一緒に住んできたルームメートや友人とアパートをシェアして(親と離れて暮らして)いるイタリア人友人たちを見ていて思うのですが、 聞くつもりはないんだけど、本当に大声で話しているんです。男女に関係なく、時々、怒鳴っているし、汚い言葉も使うし、よく親にああいう口のきき方するなあ、と、思うことがあります。中学生じゃないんだから、と。 「私は今もそうだけど、日本にいるころから親とは18歳のころから別々に暮らしているけど、いつも月に1-2回くらいしか電話しないよ。」と言うと 「へえええ。独立してるね。」と言われます。日本では普通ではないですか?もっと連絡しない人だって多いでしょうし。 「イタリアに来て、まもないころ入院したときも、親には言わなくて、退院してから、実は、って話したの。だって、心配かけるだけでしょ。」と言うと 「イタリア人は親とのコミュニケーションが濃いから、あっさりした関係というのが考えられないのだろうな」と思っていたのだけど、今、おしゃべりなイタリア人のことを思うと 「言いたいことがあるのに、言わないでおく」(しかも親に)ということがイタリア人には考えもしないことなのかもしれません。 言いたいことは言う、言いたいだけ言う、相手がどう思うか、例えば傷つくとか、より自分が言いたい欲望の方が強いということに慣れている人たちだから。 まあ、これだけ、毎日話していれば、日本でちょっと前に起こったような「オレ、オレ」詐欺事件なんて、イタリアじゃ「ありえない」でしょうね。 かといって、イタリア人は、複数の人が同時に話しても、理解しあうのか、といえば、そうじゃなくて、どっちかというと、それは日本人のほうが、得意だろうと思う。 要するに、相手が理解するか否かまたは、他の人がまだ話途中だろうが、とにかくしゃべる、満足するまでしゃべる、という感じに見える。 政治番組の討論はもちろんのこと、サッカーの試合後の討論番組(あれは、どうだった、とか、試合は終わっているのに、延々と論議は続く)家庭内やカップルの問題番組....(彼がこんなんで、どうしましょう、とかいう話題に観客も一団で討論になる) 相手の話途中に割り込むこともしょっちゅうならば、「待って、最後まで言わせて。」と延々と続くこともあり、日常でも、ときどき、コメントや質問をしたいとき、はさむ間が難しいこともある。 そういう相手にどうやってコミュニケーションをとるか....しゃべりたいだけ、しゃべらせて、満足させるしかないでしょう。 それでも、意見、反論があるときは、いきなり突っかかると、怒らせるだけなので、「あなたの言い分もわかるけど」と、一度よいしょしておいて、言うだけ自分の意見も言うようにしているのだけど.... 女友達に招かれて彼女の家に夕食に行ったのだけど、集まったのは女4人。皆30-40代と思えるイタリア人と欧州人、私だけ日本人。 最近の個人的な話題(問題や悩みとか)から、お互いの知人の話、料理の話、最近読んだ本の話、までは普通なのだけど.... イタリアはもうすぐ選挙なこともあって、話題が政治のことになると、私はついていけなくて、黙りこくってしまった。 激論する、というわけではないのだけど、2人の話がつきない。もう1人はときどき口をはさむ程度で(後で、後半は眠くなっていたのよ、と言われた)しばらく政治家の誰がどうとか、誰がなったらどうなるとか、という話になっていた。 女4人集まって、政治の話でこんなに盛り上がるって、(って私は入っていないけど)日本じゃ普通(私のまわりでは)ないなあ、と思って。 2年前の選挙でイタリアは右党から左党の首相になり、でもそれが現在つぶれちゃったため、左派の人たちは幻滅してるんだとか。で、投票意欲を失っている、らしい。 そういえば2,3週間ほど前、イタリア人に「今度ばかりは誰に投票したらいいのか、わからないのよ。誰がいいと思う?」と聞かれたことがあって 「私に聞かないでよー。何にも知らないから。」と答えたことがあるのだけど、今思うと、左党に幻滅した類なのかも。 いつも3月の終わりころ、1週間だけ、国立美術館がフリーになるのですが、今年は、今日までだったので、今回はバルベリーニに。 他にもカピトリーニ美術館を初め、近代美術館や、ヴェネツィア広場の国立美術館、コルシーニ美術館、テルミニ駅近くの国立美術館、その他にもまだまだたくさんありますので、美術館めぐりを考えている人は3月末はお得です。入場料ものきなみ高くなっていますし。 普通、美術館って、古い年代のものから、順路にしたがって新しい時代のものになるのだけど、常設展の16,17世紀の作品を見たあと、14世紀のかたい絵を見ると、時間が逆行する別空間な気がしました。 例えば作家のことを知らなくても、絵を見ただけで、何世紀に描かれたものか、画風やファッションでわかったりするものですが、現代にいたっては、1920年代、50年代、70年代、80年代、という言い方で10年ごとの単位で呼ぶことを考えると、昔は100年単位で変化していってたのが、今では10年単位なのかな、と思ったり。 ますますその流れは速くなるでしょうし、流行が昔にさかのぼる現象も、多少はあるにしても、1年ごとに、1か月ごとに、変化していってる周りの世界の中にいるんだなあ、と改めて思いました。 そんな中で14世紀の絵を見るのは、それを描いた人の筆使いが見えるような気がしてきて、本物を見るってやっぱり感動するものです。 入口(売店)入って、チケット売り場(右)と反対側の部屋(左)にありますので、知らないと見逃す人もいるかもしれないので、バルベリーニ美術館に行ったら、忘れずに見てください。迫力です。 この2種類あるというのは、フランス語やスペイン語もそうなのだけど、イタリア語はTuを使うことがすごく多いように思う。 個人的にはフランス語やスペイン語に詳しくはないのだけど、何となくその点に気づいていた頃、イタリアにいるスペイン語圏の人と話していて、「そうだよねえ」という話になった。 かなり親しい仲でもイタリア語のLei にあたる尊敬語で話したりするというし、日本語だって、ちょっとでも先輩や年上だったら、かなり親しくなった後でも「です、ます」で話したりするし.... イタリア語なんて、いきなりTu で話しかけられることが多いし、気さくな店では初対面の客にTuだったりするし(私は一応お客様にはLeiで話します)、どんなに年上でも友達だったらTuだし、友達の友達だったら年は関係なく即Tuだし。 日本語だって、昔は夫婦や親子でも尊敬語で話していたのだろうから、言葉というのは丁寧なかしこまった表現からくだけた表現へ変化していっているのかもしれない。 Tuと呼ばれること、年に関係なく、人とTuで話せること、私は好きなのですが、年下からタメぐちで話されるのが嫌な人は合わないかもしれません。私は日本語でも気になりませんが。 私の他にも、大勢の人がそれぞれの到着人を待っていたので、誰かが出てくるたびに、それぞれが一斉に注目していたことになる。で「やあ、ここだよー」と声がかる。 自分が到着するときって、今まで気にしたことなかったのだけど、こんなにも一斉の目が集中的に注目されているんだな、と思ってしまった。 結局、荷物が届いてなくて、手続きをして遅れたらしいのだけど、紛失覚悟でいたら荷物は翌日出てきました。 余談ですが、確か、ヨーロッパ線で荷物の紛失が一番多いのは、ブリティッシュ、ポルトガル、アリタリアはワースト3だったように思います。 塩も酢もオイルも味付けいっさいなし。何度か試しましたが、ゴルゴンゾーラをたっぷり使うのがコツ。(カロリーは高くなりますが) 「ほら、かみそりや、すきバサミで切っているじゃないの。」と自分の持っている数少ないテクニックで「これだ」と思い込んでいるし 「違うんだよなあ、はさみで、ちょっとずつ切っていくのだけど。」というイメージが伝わらない。写真を持っていっても、彼らの知らない切り方なのだから。 また、洗髪中に水が首にかかってきたりとか、サービスも悪いし、ブローにだけやたらと時間をかけて...なので、数年の間、何軒も転々としたあげく、ここ2年は日本人の美容師か、自分でカットしていたのでした。 日本人友人の口コミで、「矯正縮毛の上手で安い美容院があるんだって。中国人経営だけど。」ということで試した友人が「上手だったよー。手際もいいし、髪質も見ながら、丁寧にやってくれるし。イタリア人よりよっぽどまし。」とサラサラの直毛になっていたので 「わあ、別人みたい。でも私はカットだけでもしようかな。最近、自分で切ってばっかりだったから。」と、行ってみることにした。 中国語がぎっしり書かれた扉。シャンプー、カット、などど書かれているのだろうけど、解読不可。美容という文字だけは分かる。 以前は飲み屋かディスコだったのかな、と思える1階と地下の吹き抜けで、天井が高く、青白い蛍光で、ますます怪しげ。 「じゃあ、ここに座って」と中国人男性がいうので「ちょっと、ジャケットをここにかけさせて」と言って椅子に座る。 何人か他にも客がいて、イタリア人や外国人女性たち。若い女の子もいるし、皆、口コミだと思われる。(でないと、入れる雰囲気ではない。) エプロンをかけられたのはいいけど、洗面台にいくこともなく、鏡の前に座ったまま、髪をぬらされて、シャンプーが始まった。頭があわあわになったのを鏡で見てるのも変な気分... 「あなたがするの?」と聞いてしまった。というのは、どうみても80年代ふうの坊ちゃん刈り、というか、わかります?今時、いないよ、こんなヘアスタイルの男、と思えるタイプだったので、センスが心配になったのでした。かといって、他の人がいいとも言えない。 欲をいえば、部分的に「ここまで短くしたくなかった」と思えるところもあったのですが、そのへんのコミュニケーションは、難しいのです。 その日いた中国人美容師たちの中で、一人だけイタリア語の上手な女性がいて、ときどき客の言うことを他の中国人美容師たちに通訳している場面も見ましたが、イタリア語の問題というよりカットの途中で日本のように細かいところまで聞いてくれないので、出来上がってから「あ」と思ったのでした。 でも、まずまず満足できた、という感じです。周りからも「髪切ったねー。今のほうがいい」と言われているし。 ここでは住所など書かないでおきますが、「行ってみたい」という勇気のあるかたは、メールにてご連絡ください。 電車で2時間ほどです。スロベニアとの国境の町で、オーストリアの支配下におかれたこともあったという、町の建物から雰囲気から、イタリアというより他のヨーロッパの国にいる気がしました。 ここまでくると言葉も混ざってくるのか、と思いきや、訛っては聞こえるけどイタリア語そのもの、シチリアやナポリ方言より聞き取りやすいくらいです。 海辺の広場。そういえば、イタリアには海に面した広い広場というものは珍しい。トリエステ人によると、海に面した広場ではイタリア一広いのだとか。 初めてヴェネツィアのアカデミア美術館に行ったのは旅行でイタリアに来た10年ほども前になるのですが、再度、行ってみて、10年前とは違う印象を受けました。 イタリアにいると、美術作品にあふれていて、何を見てもそれほど感動しなくなるか、というと、全然、違うのです。 イタリア史に詳しければ、また別の見方もできるのでしょうし、知識とは関係ない感覚的な面からも、感じ方って変わるものですし。 昔はミケランジェロやカラヴァッジョのようなアカデミックな正確なそして迫力のある絵が好きだったのですが、今は好みの範囲が広がったのか、カルパッチョ(またはその派)の大きな絵を見ると、圧巻で、ヴェネツィア自体の風景はそう変わってないだけに、不思議な感覚でした。 あの手の絵(ヴェネツィアの風景と歴史的あるいは日常的な中の大勢の人たち)はローマでは見られませんから.... その他の教会にもヴェネツィア派の作品がたくさんあり、楽しめたのですが、どの教会も有料なのにはびっくりしました。 でも、ローマは美術館は有料だけど、教会は中にどんな名作があろうと無料だから、それに慣れていると、「観光客からお金を吸い上げようとしてるな」と思ってしまいました。 入口には何も書いてなくて、ドアを開けて中に入ると受付があって「3ユーロ」とか書いてあって、「あら、有料だわ」と引き返す外国人観光客の姿もちらほら。 |
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